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 ♯ライル・ウォン
 
 十二月の香港は、一年で一番きらびやかなシーズンだ。
 毎年恒例、尖東(チムトン)のクリスマスイルミネーションの点灯は、派手さを競うようにビル側面にダイナミックなデザインライトが点灯される。

「すごく綺麗ですね……」
 オフィスビルに囲まれた噴水公園でカラフルにデコレートされたイルミネーションに目を輝かせている偲は、自分に集まる視線にはまったく気付いていない。
「ライルさん?」
 偲を背中から抱き、コートの中に隠すと、左右から聞こえる男達の舌打ちがライルの眉間をさらに険しくさせた。
(まったく、油断も隙もないな) 
 車中で待っているグレンから連絡があり、携帯で喋ったのは三十秒ほど。その僅かな時間、ライルの意識が偲からすこし離れただけで、周囲に男の影が増えた。
 睨みを利かせているが、年内最大のクリスマスイベントを男だけで過ごすには味気なく、ナンパ目的で公園に来ている男達の視線はライルが隣にいるにもかかわらず、公園に足を踏み入れてからすぐに偲に注がれた。
 ――それくらい、偲は目を惹く美人だ。
 隙あらば声をかけようと周囲に男が群がり、ちらちらとこちらの様子を伺っている。
「偲、そろそろ戻るか」
「はい。でも、あの、もうちょっとだけ……」
 偲の瞳はイルミネーションの眩い光に負けないくらい、きらきらと輝いている。
 そう言われてしまえば、ライルの足は動かない。
 強引に手を引いてこの場から連れ去るのは容易いが、それではイルミネーションに心を躍らせている偲の感動に水を差してしまう。
 ひと目に触れないよう、偲を屋敷に閉じ込めておきたいが、そうすると今の偲の表情は見られなかった。

 公園に連れてきたのは正解だが、偲に集まる視線だけはどうにも気に食わない。
 いっそ公園を貸し切り、周囲を気にせずに偲だけを見ていたいが、そんなことをしたら偲のことだ、スラムの子供達を呼ぼうと言うに違いない。
『そうだ、ユンファ達も呼んで、一緒に見たらだめですか?』
 その光景が脳裏に浮かび、偲にそう言われたらライルにNOと言える自信はなかった。
 せっかく偲とふたりだけのクリスマスを過ごすつもりでいても、その意図を読めない偲は皆が幸せになれるよう、自分だけではなく周りにも気を遣う。
 子供達と一緒に過ごす偲を見るのも家にいては見られない表情を見れていいが、年に一度のクリスマスは誰にも邪魔されずに過ごしたいというのが男心。
(あいにくと偲にはその男心は伝わっていないようだがな)
 ライルがこの場を去りたい理由はもうひとつある。
 グレンからの連絡は、会いたくない男が公園に入ったとの報告だった。
 コートの中に偲を隠したのは、その男に偲を会わせたくないという気持ちも働いてのこと。
 広い公園内で、注意深く周囲を気にしていなければ出くわすこともないだろうが、嫌な予感ほどよく当たるというのはどうやら本当らしい。
「誰かと思えば、ライル・ウォン。きみがこんな場所にいるとは驚きだ」
 イルミネーションになど興味がないだろうというニュアンスを含む男の言葉は、ライルという男を知っているからこそ、こんな場所で会うことに驚いた言葉だ。
 たしかに偲がいなければ、公園にイルミネーションなど見に来なかった。
 せいぜいライルが思いつくのは、三つ星レストランでクリスマスディナーのあと、フォーブス・トラベルガイドで五つ星を獲得しているホテルのスイートに宿泊して一夜を過ごすだけで終わっていた。
 サリュから情報を聞いたらしい偲は、『噴水公園から見えるビルの壁一面が光で彩られるってほんとうですか?』
 その言葉がなければ、ここに足を運ぶこともなく、感動に心を震わせる偲を見られなかった。
 サリュはとても気が利く。偲が興味を惹くネタを振ってくれたおかげで偲の幸せそうな顔が見られて、ライルの心も満たされた。
(偲に集まる視線だけは胸糞悪いがな)
 おまけに、会いたくないヤツにまで会ってしまった。
「そっちこそ、なぜここにいる」
 ライルは苦々しく思いながらも無視できない相手に対峙する。
 声をかけてきたのは香港最大の裏組織、龍正会会長のレオン・イー。

 年もおなじなら背格好も似ていて、インテリヤクザらしく三つ揃いのスーツをきっちり着こなしている男は、ライルに負けず劣らず、男前だ。
 自分の隣にいる男よりもライルに視線を向けていた女性達は、ライルの前に立ったレオン・イーを見て頬を染めた。
「うちのビルがあそこに建っているからイルミネーションを確認しに来たんだが、ここに集まっている男達の視線はどうやらそちらのお相手に興味津々のようだね」
 からかい半分、探り半分、レオンの視線はコートの中にいる偲に注がれている。隠してはいるが、今の言葉で偲の意識はこちらに向き、ひょっこりコートから顔を出した。
「ライルさんのお友達ですか?」
 レオンが目を瞠ったのがわかる。
「偲、この男は友達では……」
 ない、と言うより先に、レオンが一歩前に出て、偲に手を差し出した。
「彼とは古くからの友人です。私は、レオン・イー」
「あ……えっと、こんばんは。僕は悠木偲です」
 挨拶を返す偲は握手を求められたのだと思い、手を持ち上げたところで、レオン・イーが恭しく偲の手を取り、その手の甲に口付けた。
「おい!」
 ライルはすぐに偲の手を取り返す。
 その素早さにレオンはくすりと笑った。
「〝 偲 〟か。いい名前だ。日本人かな」
「はい」
「広東語が上手だね」
「ありがとうございます」
 答える偲は相手の素性を知らないとはいえ、ライルの友達だと勘違いしたまま、にこやかに笑っている。
 ほくそ笑むレオンにちらりと視線を向けられ、ライルは内心舌打ちした。
「偲、行くぞ」
「え? あ、でも、お友達は……」
 ライルに手を引かれた偲はぺこりとレオンに頭を上げた。
「素敵な夜を。メリークリスマス」
 レオンは言い、くすくす笑う声に見送られ、ライルは一気に不機嫌になる。
 偲を見れば一目で興味を惹くのはわかっていた。だから会わせたくなかったんだ
――。
「ライルさん? 手がすこし、痛いです……」
「……悪い」
 強引に偲の手を取り、自分の歩幅で歩いていたライルは、偲が駆け足でついて来ているのを見て歩をゆるめた。
「お友達とあまり話していませんでしたが、いいんですか?」
「友達じゃない。仕事関係の男だ」
「仕事関係……」
 ライルがマフィアのボスだと知っている偲は、それ以上はなにも訊かなかった。
「ライルさん」
「なんだ」
 公園の出口へ向かう足取りは、偲に合わせてゆっくりだ。
 隣を歩く偲が、ライルの手をぎゅっと握り返してきた。
「イルミネーションを見に連れて来てくれて、ありがとうございました。すごく綺麗で感動しました」
「そうか」
「はい。ずっと見ても見飽きないくらい、綺麗でしたね」
 偲の言葉にライルはふと足を止めた。
「まだ見たいか」
「え? あ……はい、ライルさんがいいなら、まだ見たいです」
 偲の頬はうっすらと赤い。ダウンを羽織っているが、華奢な体躯では寒さが身にしみるのだろう。
「こっちに来い」
 偲の腰を抱き寄せたライルはふたたびコートで体を包むと、周囲からまた舌打ちが鳴った。
「あの、ライルさん」
「なんだ」
「これだと、その……イルミネーションが見えないです」
「たしかに、そうだな」
 ライルの表情に苦笑が漏れる。
 苛立っていたとはいえ、これではたしかにイルミネーションは見られない。
 正面から偲を抱きしめているライルは、すっぽりと腕の中に収まる偲の体を反転させようと体を離すが、偲の方がライルの腰に腕をまわしてきた。
「偲?」
「イルミネーションもいいけど……今は、こっちがいいです」
 ライルのコートの中でぎゅっと抱きつく偲はライルの胸に甘えるように頬を擦り寄せてきた。
「このまましばらくこうしていたいんですけど、ダメですか?」
 顔をあげた偲のライルを見つめる瞳はしっとりと潤み、上気した顔は寒さからではなく、ほんのりと赤い。
「ダメなわけがないだろう」
 偲の体を抱きしめるライルの機嫌は偲の体温に溶かされるように、心も体もあたたかくなった。
「クリスマスの夜なので、すこしくらい、いいですよね?」
「なにがだ」
 ライルは言うと、背伸びをしてきた偲の意図を汲み取り、身をかがめた。
「ライルさん、メリークリスマス」
 偲のふっくらとした唇が、ライルの頬にちゅっと触れた。
「偲、メリークリスマス」
 背伸びをする偲の腰を深く抱いたライルは、すぐに離れていく唇を追いかけ、甘くてやわらかいキスのプレゼントを偲に催促した。

 偲の唇を包み込むように食んでは覆い、その甘さを堪能する。
 周囲の舌打ちは、今だけはライルの耳に届かなかった――。

 Merry Christmas